飲食店で出される冷たいおしぼりは、厳しい残暑を過ごす私たちにとって欠かせない存在です。このおしぼり文化は日本独自のものとして生まれ、2021年の東京オリンピック・パラリンピックでも世界中の来賓に提供され、多くの注目を集めました。現在では手や顔を拭く目的で使われていますが、もともとは宿泊施設で旅人が自分の足を拭くために使う「セルフサービス」のもてなしだったといいます。
おしぼりが初めて登場した時期には諸説ありますが、有力な説では平安時代から江戸時代にかけて始まったとされています。当時、旅籠と呼ばれる宿泊施設では玄関に水を張った桶が置かれ、旅人は木綿の手ぬぐいを濡らして絞り、体の汚れを落としました。この光景は江戸時代の浮世絵にも描かれており、日本独自の文化としての起源を示しています。
東日本おしぼり協同組合の副理事長である添田泰弘さんは、おしぼりが日本特有の高温多湿な気候に適したもてなし文化として発展したと分析しています。「暑い日本では汗を多くかきます。その中で訪問してくれた人をもてなし、少しでも疲れを癒してもらう目的があったのでしょう」と語ります。東海大学の新田時也准教授も「おしぼりは日本のおもてなし文化を象徴する存在」と評価しています。
現代のように手を拭くだけでなく、かつては体全体を拭く目的で使われていたおしぼり。しかし、手洗いの文化が広まったのは明治時代以降のことです。それまでは飲食店でおしぼりを配る習慣もなく、政府や学校が衛生意識を啓発したことがきっかけで普及したとされています。
おしぼりが現在の形に近づいたのは戦後です。喫茶店で冷やした布のおしぼりを出したことが始まりで、都会の飲食店を中心に爆発的に広まりました。高度経済成長とともに飲食店の数が増え、食前におしぼりを配る商習慣が根付いたのです。当初、飲食店は使用済みおしぼりを自ら洗濯して再利用していましたが、1960~70年代になると貸しおしぼり業が次々に誕生し、業界全体の効率化が進みました。
その後、おしぼり関連の技術も大きく進化しました。1960年代以降には包装機械や温める機械が登場し、冷たいおしぼりに加えて温かいおしぼりも広く使われるようになりました。1980年代には使い捨て可能な紙おしぼりも誕生し、回収不要で低コストという利点からコンビニなどで採用されるようになりました。
また、日本のもてなし文化の一環として、おしぼりは海外でも注目されています。日本航空(JAL)は1959年に国内線でおしぼりサービスを開始し、世界に先駆けて国際線でも導入しました。2021年の東京オリンピックでは、海外メディア向けのプレス席で布おしぼりが提供され、「日本の暑さに驚いた外国人からも好評だった」と添田さんは振り返ります。その功績により、東京都から感謝状も贈られました。
一方で、貸しおしぼり業界は近年逆境に立たされています。特に新型コロナウイルスの影響で飲食業界が大きな打撃を受けたことで、布製おしぼりの需要が激減しました。新型コロナ禍前と比較して2~4割出荷量が減少した事業者も少なくないと言います。全国おしぼり協同組合連合会によると、1992年には299社あった組合員数が、2024年には178社と6割近くに減少しました。さらに人件費や燃料費の高騰も経営を圧迫しており、「機械が故障したら廃業を考えざるを得ない」と添田さんは危機感を募らせています。
それでも業界は苦境を乗り越えるべく、新たな道を模索しています。美容院や病院向けにタオルや白衣などの布製品をレンタル・販売するほか、若い世代にアピールするため、従来にはない香り付きやカラフルなおしぼりを開発する動きも見られます。また、布おしぼりは厚生労働省の指針に基づいて消毒・漂白され、20~25回使用された後は工業用雑巾として再利用されるため、環境に優しい製品でもあります。
日本独自のもてなし文化から誕生したおしぼりは、使い終わった後も社会を支える存在です。厳しい環境の中でも進化を遂げながら、私たちの日常に心地よさを提供し続けるおしぼり文化。これからもその価値は見直され、未来へと受け継がれていくでしょう。