川上秀太選手は、陸上男子100メートル視覚障害(T13)クラスで銅メダルを獲得し、多くの人々に感動を与えました。2021年に福井工業大学を卒業してから本格的にパラリンピック競技へ挑戦した川上選手。その挑戦を支える大きな力となったのは、母校と職場である冠婚葬祭業「アスピカ」(福井市)の協力体制でした。大学と勤務先が協定を結び、川上選手の競技生活を全面的に支援してきたのです。
川上選手が陸上を始めたのは中学時代。小学校3年生のとき、自転車事故で視力を失いましたが、それでも健常者と競い合いながら陸上を続けました。大学でパラスポーツに触れたことをきっかけに、「誰もが楽しめ、競い合える世界」に魅力を感じ、パラ競技に転向する決意を固めました。しかし、すでに入社が決まっていたアスピカで働きながら競技を続けることは容易ではありません。それでも、同社はその挑戦を温かく受け入れ、川上選手を支える環境を整えました。
競技専念型の「アスリート雇用」とは異なり、川上選手は顧客開拓の業務をこなしながら練習に励む日々を過ごしました。夕方には福井工業大学の内藤景監督がボランティアで指導し、走りの技術を磨き続けました。昨年にはアジア新記録を樹立するなど着実に力をつけ、周囲からの応援も増えていきました。内藤監督も「仕事と競技を両立することで応援してくれる人が増える」と意義を語っています。
昨年6月には、大学とアスピカが正式に協定を締結し、トレーニングプログラムの提供や栄養士の助言を受けられるようになりました。さらに、会社は大会出場を「出張」として経費を負担し、パリ大会の出場が決まってからは半日勤務も可能にするなど、競技に集中できる環境を提供しました。これらの支援に対して川上選手は「ここまでしてもらったからには金メダルを持って帰りたい」と強い思いを抱いてレースに臨みました。しかし、結果は銅メダル。「うれしい気持ちもありつつ、悔しい結果でもあります」と振り返りながらも感謝の気持ちを語りました。
さらに今年2月には長男が誕生し、「笑顔を見ると疲れが吹っ飛ぶ」と語る川上選手にとって、大きな励みとなっています。支援してくれたすべての人々への感謝を胸に、現状に満足することなく、彼はすでに4年後の金メダルを目指して新たな挑戦を見据えています。その力強い決意に、今後も多くの期待が寄せられるでしょう。