2019年6月4日、日本経済新聞社が主催する「第25回アジアの未来」のパネル討論会で、アジアのスタートアップ企業がどのように世界に革新をもたらしているのかが語られました。登壇したのは、教育、人工知能(AI)、そしてEコマース(電子商取引)という、まさに時代の先端を行く分野で急成長を遂げる3社の代表者です。彼らが描く壮大なビジョンや、直面する課題について、分かりやすくご紹介します。
中国の深セン市を本拠とするメイクブロックの王建軍(ジェームズ・ワン)氏は、教育分野での貢献を強調しました。同社は、プログラミングやAI、そして「IoT」(Internet of Things、あらゆるモノがインターネットに繋がる技術)といった、現代社会に不可欠な技術を、幼稚園児から高校生までが体系的に学べるプログラムを提供しています。現在、このプログラムは世界2万5千以上の教育機関で800万人を超える利用者を抱え、子どもたちが論理的思考力と問題解決能力を身につけるための学びの機会を世界中で提供しているのです。
次に、日本のプリファード・ネットワークス(PFN)の西川徹社長は、最先端のAI技術である深層学習(ディープラーニング)を核に、自動運転、ロボティクス、そしてライフサイエンスといった多岐にわたる分野で事業を展開していると紹介しました。特に注目すべきは、散らかった部屋を片付けるロボットの開発や、国立がん研究センターとの共同研究による「がんの血液診断技術」です。この血液解析による診断技術は実用化が目前に迫っており、医療の未来を大きく変える可能性を秘めているでしょう。
また、インドネシアのEコマース最大手であるトコペディアのウィリアム・タヌウィジャヤCEOは、10年前に「すべての人に平等な機会を提供したい」という信念から事業をスタートさせたと語りました。インドネシアは1万7千もの島々から成り立っているため、従来の商取引では、国内の隅々まで商品を届けることは困難でした。しかし、トコペディアは現在、国内の97パーセントの地域をカバーし、毎月9千万人ものアクティブユーザーと550万店の加盟店を擁しています。残る3パーセントの地域も、ネットが開通次第、サービスを提供できる見込みで、地理的な制約を乗り越え、経済的な格差を是正しようと奮闘している様子が伝わってきます。
トコペディアのウィリアム氏は、現状の東南アジアEC最大手という立場に甘んじることなく、次の10年もテクノロジー企業として進化し続ける決意を示しました。特に、今後の10年間の事業の中心に「AI」を据える考えです。インドネシアのEC市場規模は、まだ国内総生産(GDP)の3〜5パーセント程度に留まっており、農漁業といった伝統的な産業にも深く踏み込み、経済全体を見据えた事業展開が必要だと熱弁されています。
AIと技術革新のフロンティア
PFNの西川氏は、今後のビジョンとして「ソフトの進化によってハードが進化する」という視点を強調し、ソフトウェアとハードウェアの垣根をなくす取り組み、そしてものづくり企業との連携を深める考えを明らかにしました。技術的な課題としては、リアルタイムにセンサーなどを制御する技術の確立が必要であり、これは「強化学習」(AIが自力で試行錯誤しながら最適な行動を学ぶ技術)などを活用して取り組むべきテーマだと述べています。また、産業用ロボットの「手」を人間のそれに近い精緻さで、かつ安価に実現することも重要な課題となっているようです。これは、生産現場の効率化に直結する、非常に重要な進化の方向性だと思います。
メイクブロックの王氏も、今後10年間のビジョンとして、人口の多い中国国内市場での事業拡大を最優先に掲げました。技術面では、高感度のセンサーや、より賢い「目」となるインテリジェンスな技術が必要不可欠であると指摘されています。一方で、王氏はAIの悪用に対する個人的な懸念も表明しており、技術の進化と、その倫理的な側面について警鐘を鳴らしました。この懸念は、技術者が必ず持ち続けなければならない視点であり、私たち自身もAIがもたらす便益だけでなく、そのリスクについても常に意識する必要があるでしょう。
米中貿易戦争がもたらす影と光
議論は、当時激化していた「米中貿易戦争」がスタートアップ業界に与える影響にも及びました。メイクブロックの王氏は、ベンチャーキャピタル(VC)がリスクを取ることに消極的になり、トップ層を除くスタートアップは資金調達が難しくなるのでは、という懸念を率直に述べられました。しかしながら、中国政府は貿易戦争を経験したことで、改めてテクノロジーの重要性を認識したのではないか、という前向きな見方も示されています。
一方、PFNの西川氏の意見は少し異なり、同社への資金調達において直接的な問題はないと語っています。投資に二の足を踏む金融機関などは現状いないとのことですが、「影響が今後生じるかもしれない」という危機感は持っているとのことでした。激しい貿易摩擦は、グローバルなビジネスを展開する全ての企業にとって、無視できない要因であり、スタートアップ企業は特に資本市場の変化に敏感にならざるを得ない状況が垣間見えます。
今回の討論を通じて、アジアのユニコーン企業(評価額が10億ドルを超える非上場スタートアップ企業)たちが、教育を通じて未来の担い手を育て、AIで難病の診断に挑み、Eコマースで人々の生活機会を平等にしようと、それぞれが独自の「世界を変える」挑戦をしていることがよく分かりました。彼らの熱意と、技術がもたらす可能性に、私たちは大きな期待を抱くべきでしょう。