現代の私たちは、「夏休み ハワイ 費用」や「梅雨入り 2019 予想」といったように、知りたい情報をキーワードとして検索窓に打ち込み、瞬時に答えを得る生活に慣れ親しんでいます。また、検索エンジンが「あ」と打てば「アマゾン」と予測して候補を示すように、先回りされることにも疑問を持たなくなりました。このようなインターネットの普及は、私たちの情報収集スキルを飛躍的に高めた一方で、物事を類型化し、単純化して捉える傾向を強めているのではないでしょうか。
特に最近の世の中には、断片的な情報だけで結論を急ぐ、危うい反応が少なくないように感じられます。2019年5月28日に発生した川崎市多摩区での児童殺傷事件や、同年6月1日に東京都練馬区で元農林水産事務次官が長男を刺殺したとされる事件は、その問題点を浮き彫りにしています。川崎の事件では容疑者が、練馬の事件では被害者が引きこもりがちであったという情報が報じられました。
これらの断片的な情報をきっかけに、インターネット上、特にSNSでは「引きこもりと犯罪を結びつける」指摘や、「思い悩んだ親がわが子を手にかけたのだから罪は軽い」といった声が溢れました。事実の詳細がまだ明らかになっていないにも関わらず、すぐに結論を急いでしまう、このような世論の形成のされ方には大きな危険が潜んでいます。
SNS上では、「安易な関連付けは偏見を助長する」「事件の背景にある複雑な問題を無視している」といった冷静な意見も投稿されていますが、キーワード検索のように「スッキリとした正解」をすぐに求める風潮が、物事の複雑さや、背後にある微妙な機微を置き去りにしてしまっているように思えるのです。
例えば、飲み会の席などで、昔の歌のタイトルが思い出せないときに、数人が一斉にスマートフォンで検索し、「あ、わかった。このタイトルだ」とすぐに解決してしまう状況を想像してみてください。かつてであれば、曖昧なまま笑って次の話題に移っていたかもしれませんが、現代のネット社会は、グレーゾーンを許さず、すぐに明確な「正解」を求めてしまいます。しかし、この「スッキリ」の追求こそが、人間関係や社会問題といった複雑な事象を理解する上で、本当に大切な、もっと複雑で微妙なものをこぼれ落ちさせているのではないでしょうか。
今回の事件を巡る性急な世論形成は、引きこもりという社会的にデリケートな問題を、単なる「危険因子」として類型化し、単純な善悪二元論に落とし込もうとするネット社会の短絡的な思考傾向を反映していると私は考えます。多くの人が、情報過多の中で疲弊し、早く正解にたどり着きたいという無意識の欲求に駆られているのかもしれません。しかし、私たちは、事実がすべてつまびらかになるまで結論を保留し、複雑な現実に寄り添い、安易な類型化や単純化を避ける忍耐強さを持つべきでしょう。それが、私たちが生きる情報化社会における、極めて重要なメディアリテラシーだと言えるでしょう。