太平洋戦争末期に旧日本海軍が開発した戦闘機「紫電改(しでんかい)」の1機が、鹿児島県阿久根市の沖合に沈んでいます。この機体は、戦争の悲惨さを後世に伝える貴重な史料として、地元市民団体が来年2025年8月15日、終戦80年の節目に向けて引き揚げを目指しています。しかし、プロジェクトの実現には最低でも1000万円の資金が必要とされ、クラウドファンディングを通じて支援を募る計画です。
「紫電改」は、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に代わる新型機として開発されましたが、戦後の処分で約400機の大半が失われました。国内では現在、愛媛県で1機が展示されているのみで、阿久根沖の機体は極めて貴重な存在です。この機体には神奈川県出身の林喜重大尉が搭乗しており、1945年4月21日に米軍のB29爆撃機を迎撃するため鹿児島県出水市上空で交戦しましたが、不時着の末に命を落としました。地元住民によって火葬された林大尉の遺体とは対照的に、機体はそのまま海中に眠り続けています。
この事実に注目したのは、阿久根市歴史資料館で専門員を務める肥本英輔さん(70)でした。昨年2023年4月、肥本さんは戦闘機の存在を知り、行政に協力を求めましたが十分な支援は得られませんでした。そこで、独自に市民団体を結成し、自ら引き揚げ作業に取り組むことを決意します。今年2024年4月、初の潜水調査を実施したところ、水深約3メートルの地点で沈む機体を発見しました。しかし、機体は激しく損傷し、藻が絡みついた状態でした。詳細な状態の確認と追加調査を経て、最終的な費用を算出し、寄付金を募る計画が進行中です。
肥本さんは「戦争を直接知る人々が減少していく今、この機体は悲惨な歴史を語り継ぐための重要な証拠です」と語ります。この引き揚げプロジェクトは、単なる歴史保存の枠を超え、平和への祈りを込めた象徴的な取り組みでもあります。
SNSでは「次世代に戦争の悲惨さを伝えるための大切な試み」「歴史的遺産の保存は未来への責任」といった声が相次ぎ、多くの共感を集めています。一方で、資金調達の困難さや実現のハードルを懸念する意見もありますが、プロジェクトが前進するにつれ、注目と支援の輪が広がりつつあります。
終戦から80年という節目に、歴史の重みを未来へつなぐこの挑戦が、平和の尊さを再認識するきっかけとなることを願わずにはいられません。「紫電改」が再び人々の目の前に姿を現す日は、単なる歴史の再発見ではなく、過去を通じて未来を考える大切な機会となるでしょう。