2024年9月4日で、2011年に三重、奈良、和歌山の3県を襲った紀伊半島豪雨から13年が経過しました。この豪雨は各地に甚大な被害をもたらし、和歌山県那智勝浦町では死者・行方不明者が29人に上りました。その遺族会の代表を務める岩渕三千生さん(63)は、「二度と同じ悲劇を繰り返さない」と心に誓い、教訓の継承に力を注いでいます。
岩渕さんは、この豪雨で中学3年生だった甥の紘明さん(当時15歳)と、その約1か月後に被災後の疲労で亡くなった父・三邦さん(当時76歳)を失いました。特に紘明さんは野球が大好きで、地域のチームでピッチャーとして活躍していた少年でした。「高校ではエースになれていたはず」と語る岩渕さんの声には、今も深い悲しみと甥への思いが込められています。
あの日、岩渕さんが被害の報を受けたのは2011年9月4日の朝でした。「家が傾き、木が突き刺さっている」という知らせを受け、三重県紀宝町の自宅から車を走らせ、実家へ向かいました。しかし、那智勝浦町井関地区の被災地に近づくほど、目に飛び込む光景は絶望的でした。流された車や岩が道路を塞ぎ、家屋は瓦礫の山と化していました。実家は2階部分に大木が突き刺さり、1階は土砂で埋まり、跡形もありませんでした。紘明さんの遺体が発見されたのは、それから1週間後のことでした。
悲劇を風化させてはいけないと考えた岩渕さんは、翌2012年1月に遺族会を結成し、被災地に慰霊碑を建てました。彼の活動は地域に大きな影響を与え、住民たちは大きな台風の予報が出るたび、数日前から避難の準備をするようになりました。「自分の命は自分で守らないといけない」という意識が広がったのです。
SNSでは、「災害の記憶を未来に伝えることの大切さを感じる」「防災意識を高めたい」という共感の声が寄せられています。岩渕さんの活動は、個人が命を守る行動を起こすきっかけとなり、地域全体の防災力を高めています。豪雨災害から学んだ教訓を生かし、次世代にその思いを繋げていくことが、私たちの使命と言えるでしょう。