1900年、当時の大蔵省印刷局で技術を学んだ5人の独立した技術者によって誕生した企業、それが現在の凸版印刷です。同社は株券や日本銀行券の印刷を通じて日本経済を支え、第2次世界大戦後には、半導体の重要部品であるフォトマスクの製造を手掛けるなど、電子立国の一端を担ってきました。そして2023年10月、持ち株会社制に移行し、「TOPPANホールディングス」として新たな一歩を踏み出しました。この社名変更には「印刷」の枠にとらわれず、培ってきた技術を未来へ広げるという決意が込められています。
その象徴的な事例が、3D細胞培養技術「インビボイド」です。この技術は大阪大学大学院の松崎典弥教授と共同で開発され、バイオインクと細胞を混ぜて立体的な組織を作り出す仕組みです。バイオインクは、印刷用インクのノウハウを活かし、培養対象に応じて最適な成分が配合されています。例えば、この技術を応用した「がんアバター」は、患者の細胞を用いて抗がん剤の効果を測定するもので、2025年にはがん研究会が薬の選定に活用を開始する予定です。また、和牛の培養肉製造を2029年に事業化する計画も進められています。
3D印刷、または積層造形(AM:アディティブ・マニュファクチャリング)は、複雑な形状を作れるだけでなく、精密な制御によって形状だけでなく材料の特性を調整できる点が画期的です。例えば、金属部品において原子配列を部位ごとに変えることで、硬い部分と柔らかい部分を同時に作ることが可能です。この技術は人工関節や産業機械など、さまざまな分野で応用が期待されています。
一方、日本における3D印刷の発展は遅れを取っていると言わざるを得ません。米国や中国では、ロケットや航空機、軍事といった分野で大きな需要があり、それが研究開発や投資を後押ししています。一方、日本にはそのような牽引役が不足しており、産業界も慎重な姿勢を崩していません。宮城県多賀城市にある「日本積層造形」の大竹卓也社長は、金属3Dプリンターを活用した事業で試作需要を掘り起こしていますが、「悪戦苦闘中」と語ります。
その中で注目されるのが、自動車産業への応用です。例えば、鉄とアルミを一体化した軽量で強度の高い部品の量産が実現すれば、日本が再び3D印刷技術で世界をリードするきっかけとなるかもしれません。米国では3D印刷技術を「サイエンスでありアート」と捉え、若者の製造業への関心を高める動きも進んでいます。この技術は、歴史的に製造業の縁が薄い国にも新たな商機をもたらし、世界的な供給網の地図を塗り替える可能性を秘めています。
2025年4月には「日本AM学会」が発足し、産学官が一体となって研究成果の共有や教育、政策提言に取り組む予定です。3D印刷を単なる製造手段ではなく、ビジネスやアートも含めた革新の一環として捉える新しい視点が示されています。
日本はこれまで、ものづくりへの自信ゆえに3D印刷を軽視してきた節があります。しかし、巨大的な可能性を秘めたこの技術を活かすためには、固定観念を捨て、未来への投資と柔軟な発想を取り入れる時期が来ています。SNSでも「日本の技術力を活かして世界に挑戦すべき」「3D印刷の進化が新たな産業を生む」という期待の声が多く寄せられています。この波を逃さず、日本がものづくり大国として再び世界をリードする姿を見せてほしいと願わずにはいられません。