2019年6月13日、バンコク郊外のドンムアン空港へ向かう道すがら、奇妙な光景を目にしたことはありませんか。タイ国鉄の線路沿いに延々と続く、鳥居のような形をした巨大なコンクリートの列。これらは地元で「バンコクのストーンヘンジ」と揶揄される、過去の巨大プロジェクトの遺物なのです。およそ30年前に政府が掲げた夢の跡地がいま、改めて大きな議論を呼んでいます。
このコンクリート群の正体は、1990年に当時のチャチャイ政権下で決定された「ホープウェル計画」の残骸です。香港の建設大手ホープウェル社が提案したこの計画は、バンコク中心部からドンムアン空港までの約60キロメートルを結ぶ、壮大なインフラ整備事業でした。当時の構想は極めて野心的で、既存の鉄道を高架化し、なんと「3層構造」にするというものだったのです。
夢と消えた「3層構造」の未来都市構想
具体的には、最上部を高速道路、中層部を在来線と高速鉄道、そして地上部を一般道として利用するという、まさに未来都市のような計画でした。しかも、ホープウェル社が民間資金で建設し、完成後30年間の運営権を得るという契約だったため、タイ政府にとっては「懐を痛めずにインフラが手に入る」という、夢のような話として飛びついたのです。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。ホープウェル社は橋脚の建設には着手したものの、資金繰りの悪化により工事は遅延に次ぐ遅延を重ねました。結局、政府が「完成は不可能」と判断し契約を打ち切った1998年の時点で、進捗率はわずか14%にとどまっていたのです。この契約解除が、20年以上の時を経て、現在のタイ政府に重いツケとして回ってくることになります。
1300億円の賠償命令とSNSでの嘆き
契約解除を不服としたホープウェル社は、政府とタイ国鉄を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こしました。争点は「工事遅延の原因」です。ホープウェル側は「タイ国鉄が必要な用地を十分に提供しなかった」と主張。さらに、当時の契約には「工事の遅れを理由にした契約解除権」が明記されていなかったという、政府側の致命的なミスも発覚しました。
長きにわたる法廷闘争の末、2019年4月、最高裁判所はタイ国鉄と政府に対し、遅延利息を含めた計370億バーツ(日本円にして約1300億円)の支払いを命じる判決を下しました。この衝撃的なニュースに対し、SNS上では「毎日あの廃墟を見るたびに税金の無駄遣いを痛感する」「結局払うのは国民なのか」「責任者は誰だ」といった、怒りと諦めが入り混じった厳しい声が相次いでいます。
次なる巨大プロジェクトへの教訓
問題は、敗訴したタイ国鉄に支払い能力がないことです。地方の不採算路線を多く抱え、2018年末時点で約1400億バーツもの債務があると言われています。結局は政府が税金を投入して肩代わりすることになるでしょう。これは、契約時の詰めがいかに甘かったか、そして将来のリスク管理がいかに欠如していたかを物語っています。
そして今、タイ政府は新たな巨大プロジェクトに動き出しています。2019年5月に閣議決定された、バンコク周辺の3空港を結ぶ高速鉄道計画です。総事業費2245億バーツに上るこの事業は、大手財閥チャロン・ポカパン(CP)グループを中心とする企業連合が担う予定ですが、正式契約はまだ結ばれていません。
私自身、インフラ整備による経済発展には大いに賛成ですが、「ホープウェル」の二の舞だけは絶対に避けるべきだと強く感じます。現地メディアが「愚かな過ちを繰り返してはならない」と警鐘を鳴らす通り、政府には透明性の高い契約と、長期的な視点に立った慎重な判断が求められているのではないでしょうか。廃墟と化したコンクリートの柱が、私たちに無言の教訓を訴えかけているように思えてなりません。