かつては飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し、2017年にはドイツを追い抜いて世界第4位の自動車市場へと躍り出たインド。しかし、その輝かしい成長物語がいま、大きな転換点を迎えています。2019年8月の新車販売台数は、前年同月比で33%減の24万8421台という衝撃的な数字を記録しました。これは統計を遡れる2006年以降で最大の下落幅であり、現地では悲鳴に近い声が上がっています。
ムンバイにあるホンダの販売店では、7月に110台あった成約が8月中旬にはわずか20台にまで落ち込むなど、営業担当者が頭を抱える事態となっています。SNS上でも「車を買いたくてもローンが通らない」「維持費が高すぎて手が出ない」といった切実な投稿が相次いでおり、かつての熱気は完全に冷え切ってしまったかのような印象を受けます。この不調は一過性のものではなく、10カ月連続で前年割れが続く深刻な事態です。
市場を冷え込ませているのは、まさに「三重苦」と呼ぶべき厳しい環境です。第一の要因は、自動車ローンの主要な担い手である「ノンバンク」業界の信用不安です。ノンバンクとは、銀行のように預金を受け入れず、貸付に特化した金融機関を指します。この業界で資金繰りが悪化したことで、消費者がローンを組みたくても審査が通らない「貸し渋り」が常態化し、購買意欲に冷や水を浴びせました。
第二の要因は、家計を直撃する諸費用の増大です。2018年9月から自賠責保険の義務加入期間が1年から3年へと一気に延長され、購入時の保険料負担が単純計算で3倍に跳ね上がりました。さらに、インド政府はガソリン車などの登録費用を従来の8倍以上に引き上げる計画を公表しており、値上げ自体は2020年6月まで延期されたものの、将来的な負担増を嫌った消費者の「買い控え」に拍車をかけています。
そして第三の要因が、次世代排ガス規制「バーラト・ステージ6(BS6)」の導入です。これは欧州の厳しい基準に準じた規制で、2020年4月1日以降は適合車以外、販売が一切禁止されます。市場では「現行車が使えなくなるのでは?」という誤解を含んだ憶測が飛び交い、混乱を招きました。このように、規制の急激な変化にインフラや消費者の理解が追いついていないのが、現在のインド市場の痛々しい現状といえるでしょう。
日本メーカーへの影響と雇用危機の連鎖
この荒波は、インド市場で高いシェアを誇る日本メーカーにも容赦なく襲いかかっています。最大手のマルチ・スズキは2019年9月に工場の稼働を一時停止し、ホンダや日産自動車も販売台数が半減するという極めて厳しい局面に立たされています。各社は必死の生産調整を行っていますが、インド自動車工業会(SIAM)によれば、業界全体で約35万人もの期間雇用者が職を失うという、極めて深刻な雇用危機に発展しています。
私自身の見解としては、今回の不況は単なる景気循環ではなく、強引な規制導入と金融システムの脆弱さが招いた「人災」に近い側面があると感じます。環境対策としての排ガス規制は不可欠ですが、消費者の負担能力を無視したコスト増を短期間に重ねすぎたのではないでしょうか。雇用が悪化すればさらに消費が冷え込むという悪循環に陥っており、インド政府には一刻も早い強力な景気刺激策と、金融緩和が求められます。
現在のインド市場は、まさに嵐の真っ只中にあります。各メーカーがこの苦境をどう乗り越え、次世代規制に対応した魅力的なモデルを投入できるかが、再浮上の鍵を握るでしょう。かつての成長神話を取り戻すには、まだしばらくの時間が必要になりそうです。今後、政府がどのような救済策を打ち出すのか、そして日本メーカーがどのような反転攻勢を見せるのか、引き続きその動向から目が離せません。