中東のシリコンバレーとして世界中から熱い視線が注がれるイスラエルですが、そのビジネス環境において日本企業が特に注意すべきなのが労働法の実態です。TMI総合法律事務所の田中真人弁護士による解説(2019年09月27日時点)に基づくと、現地の労働者保護は驚くほど手厚く、安易な解雇は大きな法的リスクを招きかねません。SNS上でも「スタートアップのイメージが強いけれど、雇用に関しては非常に保守的で驚いた」といった声が上がっており、進出企業にとっては避けて通れない課題といえるでしょう。
イスラエルの法体系において、解雇は常に「正当な理由」に基づかなければならず、差別的な動機による決定は厳格に禁じられています。特に配慮が必要なのは、妊娠中や産休中、さらには不妊治療を受けている従業員に対する扱いです。また、イスラエル特有の事情として、兵役や予備役(兵役終了後に義務付けられる定期訓練)に従事している期間中の解雇も法律で守られています。こうした社会的背景を理解せずに日本の感覚で人事評価を進めてしまうと、思わぬ訴訟トラブルに発展する可能性が高いでしょう。
解雇の手続きにおいて最も重視されるのは、雇用主側の「誠実さ」という抽象的かつ強力な概念です。例えば、能力不足を理由に解雇を検討する場合、いきなり解雇を言い渡すことは許されません。まずは改善の機会を与えるための「事前警告」が必要不可欠となります。これには法律で定められた明確な期間こそありませんが、従業員が真摯に業務改善に取り組めるだけの妥当な猶予を与えることが求められます。このプロセスを怠ることは、現地では重大な手続き違反とみなされるのです。
解雇の最終決定を下す前には、「聴聞(ヒアリング)」という非常に重要なステップを踏む必要があります。雇用主は解雇理由を明記した書面をあらかじめ送付し、従業員本人から直接意見を聞く場を設けなければなりません。この際、従業員は弁護士を同席させる権利や、自身の評価に関連する内部書類を閲覧する権利を有しています。形だけの面談ではなく、雇用主側が従業員の言い分を真摯に検討した形跡がなければ、その解雇は法的に無効とされるリスクがある点に注意してください。
解雇通知と金銭的補償の実務的な流れ
具体的なスケジュールとしては、勤続1年を超える従業員に対しては、少なくとも1カ月前までに解雇通知を行う義務があります。また、解雇時には未消化の有給休暇の買い取りや、法律で定められた退職金の支払いが発生します。退職金については、原則として「月給1カ月分×勤続年数」という計算式が適用されるのが一般的です。興味深いのは、有給休暇の消化を解雇通知期間中に強制してはならないというルールであり、労働者の権利が隅々まで徹底されていることが伺えます。
実務上の慣行として、将来的な訴訟リスクを回避するために「権利放棄書」への署名を求めるケースが多く見られます。ただし、単に署名をさせるだけでは不十分であり、その対価として「任意金(上乗せ金)」を支払うのがイスラエル流の解決策です。法的権利を享受することの条件として署名を強要することはできませんが、任意金の受領を条件とすることは認められています。この金銭的な合意があることで、初めて権利放棄書の法的効力が安定し、円満な退職へとつながる傾向にあります。
筆者の視点から申し上げれば、イスラエルの労働法は「自由な解雇」を許さない、極めて日本的なマインドに近い制度設計がなされていると感じます。イノベーションを重視する文化でありながら、個人の生活基盤を守る意識が非常に強いのは、多民族国家としての社会統合を維持するための知恵なのかもしれません。日本企業が現地で成功するためには、技術力や戦略だけでなく、こうした現地の「正義」に根ざした法務実務をリスペクトする姿勢こそが、優秀な人材を確保し続ける鍵となるはずです。