2019年6月17日は、第二次世界大戦における旧日本陸軍の無謀な作戦として知られるインパール作戦から、ちょうど75年という節目の時期にあたります。戦況を大きく左右し、甚大な犠牲を出したこの作戦を生き延びた一人の元兵士、佐藤哲雄さん(当時99歳、新潟県村上市在住)は、今もなお、戦友たちの面影を夢に見るという、切実な記憶を抱えて生活していらっしゃいます。佐藤さんは、1940年4月の入営から終戦を経て1947年5月の本土復員に至るまで、7年間にわたる従軍と抑留の記録をまとめた軍歴調書を、戦犯を恐れて多くの将兵が焼却処分した中で、折り畳んで油紙に包み、軍靴の底に隠して持ち帰りました。それは、ご自身の**「生の証し」であると考えたからだそうです。この貴重な記録を参照しつつ、佐藤さんは当時の記憶を克明に語ってくださいました。
旧帝国陸軍が1944年3月から7月にかけて敢行したインパール作戦は、ビルマ(現在のミャンマー)から大河や山脈を越えて、連合国軍の主要な物資補給拠点だったインドのインパールの攻略を目的としていました。佐藤さんが所属していたのは第31師団の歩兵第58連隊で、インパール北方の重要拠点であるコヒマで激戦を繰り広げました。この作戦は、東部と南部から進軍する他の2個師団とともに敵陣を包囲するという計画でしたが、圧倒的な補給の軽視により、十分な武器や食料が届かない状態が続きました。その結果、多くの兵士が敵との戦闘ではなく、感染症や飢餓によって命を落とし、その犠牲者は3万人以上にも上ったとされています。
絶望的な敗走の後、チンドウィン川沿いの道は、後世「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な状況でした。佐藤さんは、道端で力尽きた兵士の遺体をハゲタカが食い荒らしている光景を目の当たりにしたと語ります。佐藤さん自身も最初の戦闘で敵の迫撃砲の破片が左膝の内側に食い込む重傷を負いました。この負傷こそが、皮肉にも生死を分けることになったのです。野戦病院での治療後、原隊に合流しようと急ぐ佐藤さんを、部隊後方の輸送隊の兵士が「急ぐ必要はない、ここで泊まっていきなさい」と引き留めました。そして、翌日、佐藤さんが所属する部隊は敵の砲陣地へ総攻撃**を仕掛け、ほぼ全滅したというのです。
無謀な作戦に「抗命」した師団長の英断
佐藤さんの戦場での記憶の中で、最も鮮烈に残っているのは、インパール作戦の司令官であった牟田口廉也中将の作戦命令に対し、抗命という英断を下した当時の第31師団長、佐藤幸徳中将の言葉です。佐藤師団長は、補給のないままの無謀な作戦継続を拒否し、独断で「補給のある場所まで兵を引く」という戦線からの撤退を決断しました。この命令違反は、当時の軍律においては軍法会議で裁かれることを覚悟した行為にほかなりません。師団長は馬から下り、兵士たちと目線を合わせて「諸君と英霊のため俺のクビを差し出す。体を大切にしろ」と、静かに、そして親しく語りかけたそうです。この言葉は、部下の命を守ろうとする、師団長としての信義に溢れた決断であり、絶望的な戦場における希望の光であったと、私は考えます。
この佐藤師団長の人道的な決断は、戦後の日本でも長く語り継がれるべき、極めて重要な歴史的事実です。無謀な命令に唯々諾々と従うのではなく、多くの部下の命を救うために「上官の命令に背く」という決断を下すことは、当時の軍隊組織の中では、どれほどの勇気を必要としたことでしょうか。佐藤哲雄さんは、この命を救ってくれた恩人の「信義」について、これまで人前で話す機会はほとんどなかったそうですが、今後は機会があれば学校などで若い世代に語り継ぎたい、という強い想いを持っていらっしゃいます。
インパール作戦の記憶を未来へ繋ぐ動きとSNSでの反響
こうした戦争の記憶を未来へ継承する動きとして、2019年6月22日には、インド北東部のマニプール州に「インパール平和資料館」が開設される予定です。この資料館では、連合国側の戦争資料に加え、旧日本兵の遺品や手記などが展示されることになっており、運営を支援する日本財団が遺族などにゆかりの品の寄贈を呼びかけています。佐藤哲雄さんも、従軍時に携行していた双眼鏡を資料館に寄贈されます。ただし、命を救ってくれた佐藤師団長の親族から譲り受けたという直筆の書は、生ある限りご自身の**「心の拠り所」として手元に置くおつもりだそうです。
このインパール作戦や佐藤師団長の抗命に関する報道は、インターネット上のSNSでも大きな反響を呼んでいます。多くのユーザーが「補給を無視した無策な作戦の悲劇を忘れてはならない」「佐藤師団長のような真のリーダーシップが、あの時代にも存在したことに感動した」「命を尊ぶ決断を下した師団長の勇気に敬意を表する」といった感想を投稿しています。また、「平和の尊さ」を改めて噛みしめるとともに、「今の時代にも通じる組織論や決断力について深く考えさせられた」という意見も見受けられ、戦争の歴史を単なる過去の出来事としてではなく、現代社会にも通じる教訓として捉え直そうとする姿勢がうかがえます。
インパール作戦は、旧日本軍の組織的な問題点と、その中で下された人命軽視の判断がもたらした悲劇を象徴する出来事です。しかし、その悲劇の渦中にあって、自分の地位や命を顧みず、部下たちの命を守るという崇高な信義を貫いた佐藤師団長の存在は、混迷を極めた時代における人間の尊厳と倫理を示してくれていると言えるでしょう。私たちは、佐藤哲雄さんの証言や、平和資料館の開館といった機会を通して、この重い歴史の記憶と、そこで示された英断の教訓**を、今後も真摯に学び続けていく必要があるでしょう。