「データは21世紀の石油である」。そんな言葉がビジネス界を席巻して久しい昨今ですが、実際に私たち個人のデータが石油のように富を生み出している実感はあるでしょうか。2019年6月28日、ある記者が自らの身体を張って行った実験結果が、ネット上で大きな波紋を呼んでいます。「自分のデータを切り売りして生活できるのか?」という素朴な疑問からスタートしたこの企画、その結末はあまりにも世知辛いものでした。
記者は3週間にわたり、自身の個人情報を企業に提供する「データ労働者」として活動しました。使用したのは、最近話題のレシート買取アプリ「ONE(ワン)」などです。これは私たちが普段捨ててしまうレシートを撮影して送るだけで、企業がマーケティングデータとして買い取ってくれるサービスですね。しかし、必死にレシートを送り、位置情報を提供しようとした結果、彼が手にした報酬はわずか229円。牛丼一杯すら食べられない金額だったのです。
なぜ私たちのデータは「二束三文」なのか
この衝撃的な結果に対し、SNS上では「俺たちのプライバシーってそんなに安いの?」「ポイ活(ポイント活動)の方がマシじゃん」といった悲鳴に近い反響が相次いでいます。なぜ、企業はデータ活用で巨万の富を築いているのに、元データを提供する私たちには小銭しか還元されないのでしょうか。記事の中で専門家が語った事実は、資本主義の冷徹な論理を浮き彫りにしています。
専門家の試算によると、情報漏洩時の賠償額から換算した個人情報の価値はおよそ500円程度だそうです。「たったそれだけ?」と憤りたくもなりますが、ここには「規模の経済」というカラクリが存在します。野村総合研究所の分析によれば、データビジネスが採算ラインに乗るには、最低でも20万人から30万人のデータが必要とのこと。つまり、私たち一人のデータは「単品」では何の意味も持たず、何十万人分も集まって初めて「ビッグデータ」としての価値を持つのです。
ここで言う「ビッグデータ」とは、単に量が多いだけでなく、様々な種類や形式のデータが集まり、高度な分析を行うことで新たな知見を生み出す巨大なデータ群のことです。例えば、あなた一人のコンビニでの買い物履歴はただの記録ですが、30万人の履歴が集まれば「20代男性は雨の日の金曜夜に何を買うか」という消費傾向が見え、そこに巨大なビジネスチャンスが生まれます。逆に言えば、集団の中に埋没して初めて、私たちは価値ある資源となり得るわけです。
GAFAによる「富の独占」とデータ労働論
この構造を最も巧みに利用しているのが、GoogleやAmazon、Facebook(現Meta)、Appleといった、いわゆる「GAFA」と呼ばれる巨大IT企業群でしょう。記事内でも比較されていますが、Facebookの利用者数は2018年度時点で約27億人。日本のLINEと比較して利用者は16倍ですが、利益はなんと165倍にも達します。データ量が一定を超えると、自動運転や金融、医療などあらゆる分野に応用が利き、価値が幾何級数的に跳ね上がるのです。
しかし、ここで私は編集者として一つの疑問を投げかけたいと思います。莫大な利益を生んでいる「原油」たるデータを生み出しているのは、間違いなく私たちユーザー自身です。それなのに、プラットフォーマーだけが富を独占し、私たちには便利なサービスを無料で使わせるだけで「チャラ」にするという現在の契約は、果たして公正と言えるのでしょうか。
記事の後半で紹介されている米国の経済学者グレン・ワイル氏の「データ労働者(Data Labor)」という考え方は、非常に示唆に富んでいます。「企業は情報の価値に見合う分配金を個人に払うべきだ」という彼の主張は、今の私たちには夢物語に聞こえるかもしれません。しかし、私たちが日々スマホで検索し、移動し、「いいね!」を押す行為そのものが、企業への労働提供であると認識を変える時期に来ているのではないでしょうか。
編集後記:私たちは「搾取」され続けるのか
2019年6月28日現在、この「データ労働」に対する対価は、まだ牛丼一杯にも満たないのが現実です。しかし、世界中で議論され始めている「データ配当」や「情報の所有権」という概念は、今後のインターネット社会を大きく変える可能性があります。個人的には、ただ漫然と便利さを享受するだけでなく、「私のデータは誰を儲けさせているのか?」という視点を常に持ち続けることが、これからのデジタル社会を生き抜くための防衛策になると感じています。