2019年07月04日、日本のエネルギー業界に大きな衝撃が走りました。大手総合商社の三井物産が、ロシアのガス大手ノバテクが推進する北極圏の液化天然ガス(LNG)開発プロジェクト「アークティック2」への参画を正式に決定したのです。今回のプロジェクトには、独立行政法人の石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)と共同で計10%を出資する形となります。三菱商事が出資を見送るという慎重な姿勢を見せる中で、三井物産が示した「攻め」の決断は、同社のロシア事業に対する並々ならぬ執念と自信の表れといえるでしょう。
SNS上では、この大胆な投資に対して「エネルギー資源の確保という点では大きな一歩だ」と期待を寄せる声がある一方で、「地政学的なリスクや米国の制裁をどう回避するのか」と不安視する意見も飛び交っています。確かに、2019年現在の国際情勢において、ロシアへの巨額投資は決して平坦な道ではありません。しかし、三井物産にはこれまで築き上げてきた「サハリン2」での成功体験という確かなバックボーンが存在します。1980年代から粘り強く交渉を続け、2009年に生産を開始した実績は、同社のロシアにおけるプレゼンスを不動のものにしました。
緻密なリスクコントロールと「ロシア通」としての底力
取締役会では、米国の経済制裁が事業に波及することを懸念する厳しい声が相次いで上がりました。しかし、三井物産の担当部署は欧米の関係者から徹底的なヒアリングを重ね、現時点でアークティック2が制裁対象になる可能性は極めて低いという確信を得ています。さらに、リスクを分散させるためにJOGMECとの交渉を重ね、2000億円を超える出資額のうち、三井物産の負担を25%に抑え、残りの75%をJOGMECが引き受けるという特例措置の合意まで取り付けました。これは、国策としてのエネルギー安全保障を背負う覚悟の証と言えます。
三井物産の強みは、単なる資金力だけではなく、旧ソ連時代から脈々と受け継がれてきた「人財」にあります。1980年代半ばからロシアへ語学研修生を派遣し続け、現在ではロシア語を自在に操る社員が200人を超えるという、業界トップクラスの体制を整えているのです。製薬事業などエネルギー以外の分野でもロシア国内での足場を固めており、現地ネットワークの深さは他社の追随を許しません。こうした「ロシアを知り尽くした集団」であるからこそ、不透明な情勢下でも勝機を見出すことができたのでしょう。
北極圏というフロンティアを切り拓く革新的テクノロジー
「アークティック2」は、地政学的な課題だけでなく、極寒の北極圏という過酷な自然環境との戦いでもあります。しかし、三井物産はこのプロジェクトの経済性を冷静に分析しています。まず、陸上のガス田であるため海洋掘削に比べてコストを大幅に抑えられる点が魅力です。また、主要な設備を温暖な場所で組み立ててから現地へ運ぶ「モジュール工法」を採用することで、現地での作業時間を短縮し、建設コストの膨張を防ぐ工夫が凝らされています。近隣の「ヤマルLNG」で予算通りの建設を実現した実績も、彼らの自信を後押ししています。
2023年からの生産開始を目指すこのプロジェクトでは、年間2000万トンの生産能力を計画しており、三井物産はそのうち200万トン分を引き受ける予定です。注目すべきは、従来の長期契約に縛られず、需要が急拡大している中国を中心としたアジア市場や欧州市場へ柔軟に供給を広げる戦略です。北極圏という立地を逆手に取り、冬場の凍結という壁を「砕氷船」による東回りルートの開拓で乗り越えようとする試みは、エネルギー輸送の歴史を塗り替える可能性を秘めていると感じます。
編集者の視点から言えば、今回の三井物産の決断は、リスクを恐れて足踏みをするのではなく、緻密な計算に基づいた「攻めの経営」の極致だと感じます。もちろん、輸送コストや地政学リスクという不確定要素は残りますが、資源乏しい日本にとって、新たなエネルギー供給源を確保することは至上命題です。民間企業の枠を超えた三井物産のこの挑戦が、将来の日本のエネルギー事情をより盤石なものにしてくれることを期待して止みません。今後の北極海航路の実証実験の進展からも目が離せませんね。