東山彰良の決断!専業作家という道を選んだ「九十九の憂鬱」と「生きる」ことへの真摯な向き合い方

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直木賞作家として知られる東山彰良(ひがしやま・あきら)氏が、2019年よりついに専業作家としての道を歩み始めたことが明らかになりました。長年にわたり大学の非常勤講師を兼任されてきた東山氏ですが、その期間はなんと約25年にも及ぶとのこと。体力や精神面、そして生活環境の変化という複数の要因が重なり、このタイミングでの転身がご自身にとって「ベスト」だと判断されたそうです。専業作家への強いこだわりや憧れがあったわけではない、という姿勢からは、現実を冷静に見極める氏の真摯な人柄が垣間見えるでしょう。

そもそも東山氏が小説を書き始めた動機は、非常に切実なものでした。今から20年前、定職もなく博士論文は何度も却下され、皿洗いや通訳でその日暮らしをする生活に追い込まれていたというのです。家族を養う重圧は計り知れず、当時の東山氏は「人生はどうしようもなく行き詰まっていた」と振り返ります。自力で現状を打破しなければならないという強い焦燥感と怒り、そしてどうしようもない現実への苛立ちから、ある晩、何の準備や展望もないままに小説を書き始めたそうです。この「進退窮まって、膿んだ傷口をぎゅっと押したら言葉が出てきた」という表現は、まさに氏の創作活動の原点が、極限の状況下で内側からほとばしり出た言葉であったことを物語っています。

創作活動は、当初からすぐに生計を立てられるようなものではなかったそうですが、東山氏にとって「書くという行為には癒やしの効果がある」というのは紛れもない事実でした。作品がなかなか売れない状況にあっても、もう一つの仕事でつつましく生活することができたため、とにかく次の一行を書きたいという純粋な想いが、執筆を続ける原動力になっていたのでしょう。作家になってからも、自己嫌悪や劣等感といったネガティブな感情が、かえって言葉を磨き上げるための「用途」を見つけられたことは、不幸中の幸いだったと語られています。弱いカードでも、複数枚揃うことで手札が飛躍的に強くなる。この逆転の発想こそが、氏の言う「このゲームのルール」なのかもしれません。

東山氏にとって、専業作家になること自体よりも、「ちゃんと生きていく」ことが何よりも重要でした。ここで言う「ちゃんと生きていく」とは、「家族とともに」生きること。生きてさえいれば、頭の中でせめぎ合っている新しい言葉を吐き出すことができ、それが人生に対して優しくなれるきっかけになるという考えです。ご自身の創作活動の背景に、ご家族への深い愛情と責任感があることが伝わってきます。SNS上でも、「生きてさえいれば、頭のなかでせめぎ合っている新しい言葉を吐き出すことができる」という言葉が、多くの読者の共感を呼んでおり、「深い」「生きていくための哲学だ」といった反響が見受けられました。

好きなことと「九十九の憂鬱」――作家を支えるしがらみ

東山氏は、執筆以外の仕事にも耐え抜くことができたのは、この「ちゃんと生きていく」という強い思いがあったからだと言います。たとえ熱があっても、天候が悪くても、破綻しかけている小説に焦燥感を抱えていても、仕事へ出かけることを辞めなかったのです。氏の人生観は、「好きなことをひとつやるためには、好きではないことを九十九もやらなければならない」という言葉に集約されています。ときには無意味に思える「九十九のしがらみ」こそが、本当に好きな「たったひとつのこと」を支えているという考えは、多くの働く人々の心に響くでしょう。

しかし、年齢を重ねるにつれて、東山氏は息切れを感じるようになり、ご自身を古い車に例えて表現しています。ラジエーターから蒸気を吹き上げ、もうかなりの距離を走ってポンコツになりつつある車。エンジンがかかるのも一苦労という状況のなかで、動かなくなる前に「なにか手を打たなければならない」という危機感が、専業作家への決断を後押しした要因の一つでしょう。幸いにも、子供たちは成長し、間もなく氏の庇護を必要としなくなるところまで漕ぎつけました。子供たちを育て上げたことは「とんでもない偉業」であり、その経験こそが、氏の言葉に重みを加えたに違いないと断言されています。

物事を変える力と「テキーラとブルース」

2019年6月2日、東山氏は専業作家として再スタートを切りました。若い頃に氏を苦しめた現実は遠ざかり、人生のエピソードもたっぷり仕入れた今、あとはこの道を突き進むだけだと決意を新たにされています。キューバのピアニスト、ルベーン・ゴンサレスが白アリにピアノを食われ、10年間も音楽から遠ざかったというエピソードを挙げ、「やむを得ない事情のひとつやふたつは誰にでもある。それでも、物事を変えることはできる」と力強く語ります。

人生において幸運はあったほうが良いものの、それは必要不可欠なものではなく、幸運と悪運はどちらも物事を変える力を持った、仲のいい兄弟のようなものだと氏は考察します。そして、それらはすべて「九十九の憂鬱」のうちのひとつにすぎないのでしょう。作家・東山彰良は、これからも頭の中でせめぎ合う言葉を磨き続け、人生に対して優しくなりながら、あとは「テキーラとブルースがあればゴキゲンだ」という言葉で締めくくられています。その底抜けの明るさと、人生への肯定的な姿勢こそが、氏の作品の奥深さと魅力を形作っているのだと、私は強く感じる次第です。

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